「植木屋さんって、木を切る人ですよね?」
たまにそんなふうに聞かれることがあります。たしかに、剪定や伐採は植木屋の代表的な仕事です。でも僕は最近、この質問に少しだけ違和感を感じるようになりました。
自分が届けたいことはなんなのか。
自分はどんな植木屋になりたいんやろう、そんなことをよく考えるようになりました。
ただ枝を切る仕事じゃない、ただ見た目を整える仕事でもない。
単に早く終わらせて早く帰る。常に現状維持、果たしてそれでいいのか。
僕が本当にやりたいのは、“その家の暮らしに寄り添う剪定”です。
それに気づいたのは、ある現場でのやりとりがきっかけでした。

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「この枝が、洗濯物のじゃまになるんです」
ある夏の終わり、剪定で伺ったお客さまのお宅でのことでした。
玄関先にはシマトネリコが立ち、2階のベランダに向かって枝葉がぐんぐん伸びていました。

「見た目も少しスッキリしてほしいんですが、実は洗濯物に影ができて、なかなか乾かなくて…」
奥さまはそう言いながら、少し困ったような笑顔を浮かべていました。
それまでの僕だったら、「じゃあ、上の方の枝をバッサリいきましょうか」と言っていたと思います。
でもその日は一旦少し立ち止まりました。
「この枝って、朝は光を遮ってるけど、午後には日差しを柔らかくしてくれてるんじゃないかな」
「ここに洗濯物を干すのは何時くらいなんだろう?」
そんなふうに、“木の役割”と“人の暮らし”を同時に考えるようになったんです。
剪定って、ただ“枝を減らすこと”じゃない
そこに暮らしている人の毎日と、木の成長と、その先の季節と、ぜんぶをつなぐ作業なんだって。
このとき初めて、「植木屋という仕事は“暮らし”を整える仕事なんだ」と、心から思えたんです。
結果的には、木の性質上切ることにはなったのですが、一旦立ち止まって考えることができたのはよかったかなと思います。
毎年同じことを繰り返すのではなく、今年は去年よりも気持ちがいいと思ってもらえることが、我々にとっても嬉しいことにつながっていきます。
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木を見て、人を見る
もちろん、木の状態をよく観察するのは植木屋にとって当たり前のことです。
枯れた枝、込み合った枝、日照や風通し。病害虫や剪定時期。
でも、そこだけに目を向けていたら、“木だけを見ている剪定”になってしまう。
大事なのは、その木の下でどんな暮らしが営まれているかを想像することだと思うんです。
休日の朝、縁側でコーヒーを飲むご夫婦。
お孫さんが遊びにくるときに木陰をつくってくれるハナミズキ。
隣のお宅からの視線が気になる。かっちりした生垣は好みではなくても、木で目隠しをできる方法はあります。調和を大切にすることによって満足のいく生活がすぐそこにあります。
落ち葉が詰まらないように、掃除がしやすくなるように。
それは全部、“剪定”という行為のなかに含まれているんですよね。
木を整えることと、暮らしを整えること。
この二つは、まるで枝と葉のように繋がっていると感じています。
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僕が「日和舎」に込めた想い
僕は今、「日和舎(ひよりや)」という名前で、植木屋として独立を目指しています。

“日和”という言葉には、天気の良い日という意味だけでなく、「〜日和」という言葉があるように、「何かを始めるのにふさわしい日」という前向きな意味があります。
そして“舎”には、人が自然と集まる場所、居場所のようなニュアンスがある。「溜まり場」のような意味合いを込めています。
木が根を張るように、人も自分の暮らしの拠点をつくる。
そして、その暮らしの中に植物があると、なんだか毎日がちょっと優しくなる。
そんな感覚を、僕は植木屋として届けたいと思っています。
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今は日々スキルを磨いて、いつか自分の思う植木屋として一歩踏み出せたらいいなと思っています。
仕事は技術だけじゃなく、想像力で変わる
最近、こんなふうに思うようになりました。
剪定は「正解」が一つじゃないからこそ、センスと想像力が問われる。
たとえば、単に枝を落とすだけなら、ロボットがやってしまえる時代かもしれない。
でも、お客さまの言葉にならない気持ちや、庭で過ごす時間の質まで汲み取ることは、人にしかできない。
そして、その想像力は“暮らしを大切に思う心”からしか生まれない。
そんな、言いにくいことや、言語化が難しいことまで汲み取っていけるように努力していきます。
僕自身、まだまだ学ぶことばかりです。
でも、ただ剪定がうまい職人ではなく、
「この人に頼んでよかった」と思ってもらえる植木屋になりたいと、心から思っています。
なにか+1をして現場を後にするそんな植木屋になりたいとおもっています。
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暮らしの中に“いい一日”を増やすために
剪定したあと、お客さまが「すっきりした〜!ありがとう」と言ってくださるとき。
また来年もお願いね、と笑顔で言ってもらえるとき。
「朝、カーテン開けたときに庭がきれいで気持ちいいんです」
そんなふうに言ってもらえる瞬間が、何よりも何よりも嬉しいです。
「来年もよろしくね」と言われるのは本当に嬉しくて、自分のやってることは間違ってないんだと再確認できます。それに知り合いの人を紹介してもらった時なんかは感謝で涙がでそうになります。
植木屋の仕事って、一見地味かもしれません。
でも、その一本の木が、誰かの毎日のスイッチになったり、
家族の会話のきっかけになったり、
春を告げる合図になったりする。
僕はこれからも、木と暮らしの間に立つ人として、
そっと寄り添えるような剪定をしていきたいと思っています。
植栽のご提案や施工なども行なっています。庭のこと、植物のこと、どんな小さいことでも気軽にご相談くださいね。
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「木を切る人」から「暮らしに寄り添う人」へ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は「植木屋という仕事を“暮らし”から考えるようになった理由」について、僕の経験や想いを込めて綴らせてもらいました。
“木を切る人”ではなく、“暮らしに寄り添う人”として、
これからも日和舎らしい働き方を続けていきたいと思っています。
Instagramを開設しましたのでこちらも気軽に見ていってください。
また次回も、「はたらく帖」を通じて、僕の仕事観や日々のことをお届けしますね。
それでは、今日もよい一日を。